連日の修正依頼と迫る納期。パソコンの画面から目を離すと、カレンダーはすでに週末を迎えていた。
「少し、深呼吸しなきゃ……」 20代のWEBデザイナーである美咲は、逃げるように電車に乗り込み、北鎌倉の駅に降り立った。
観光客の喧騒から少し離れた小道を、目的もなく歩く。すると、目の前の木立からガサガサッと音がして、ふさふさの尻尾を持った一匹の野生のリスが顔を出した。 リスは美咲と目が合うと、ちょこちょこと先へ進み、振り返っては「こっちにおいで」と言うように立ち止まる。
リスに導かれるまま細い路地を進むと、自然の緑にすっぽりと包まれた一軒の古民家風のお店が現れた。看板には「北鎌倉 ぬふ・いち」の文字。リスはそのままお庭の茂みへと消えていった。
「ここで、お昼にしようかな」 木漏れ日が差し込むアットホームな店内に入り、美咲は看板メニューの『鎌倉野菜のスープカリー』を注文した。
しばらくして、上品な白髪のおばあちゃんが「相席、よろしいかしら?」と向かいの席に座った。 「どうぞ」と微笑んだタイミングで、目の前に運ばれてきたのは、まるで宝石箱のようなスープカレー。素揚げされたカボチャや大根、色鮮やかな葉野菜が、スパイスの香るスープの中でキラキラと輝いている。ヘルシーな十六穀米をスプーンですくい、スープに浸して口に運ぶと、野菜の優しい甘みとスパイスの奥深さが、疲れた体にじんわりと染み渡っていった。
「美味しいでしょう? ここのお野菜はね、丁寧に手間暇かけて育てられて、一番美味しい方法で調理されているのよ」 おばあちゃんがニコニコしながら話しかけてきた。美咲は頷きながら、ふと、最近の仕事の悩みをこぼしてしまった。いつも急かされ、自分をすり減らしていること。
おばあちゃんはスープをゆっくり飲み込むと、窓の外の庭を見つめて言った。 「お野菜も人間も同じね。早く早くって急かされて育つより、時には立ち止まって、じっくり自分のペースで根を張る時期が必要なの。あなたは今、ちゃんと根っこを育てている最中なのよ。焦らなくていいの」
その言葉は、スパイスの効いたスープ以上に、美咲の心の奥底を温めた。 お店を出る頃には、背中にのしかかっていた重たい荷物がすっかり消えていた。 「明日から、また私なりのデザインを作ってみよう」 美咲が空を見上げると、どこかの木の上から、あのリスがエールを送るように小さく鳴いた気がした。
