キミドリまで三分
姪が訪ねてきたのは、午後の早い時間だった。 二十歳になるというが、玄関に立つ姿はまだ少し頼りなく、同時に、こちらを寄せつけない硬さもあった。
「久しぶり」
それだけ言って、靴を脱ぐ。 母親はいない。離婚してから、彼女は父親と暮らしている。 その父親――つまり私の弟は、相変わらず仕事に追われ、今日も不在だった。
兄である私が、半ば親代わりのような立場になって久しい。 だが、親しさを前に出せば引かれ、距離を取れば冷たい。 この年頃の扱いは、いつも難しい。
「近く、少し歩くけど……甘いもの、嫌いじゃなかったよな」
姪は曖昧にうなずいた。 それを肯定と受け取り、私は上着を手に取った。
家を出て三分。 大通りに出ると、通りを挟んだ向かいに、控えめな佇まいの店がある。
焼菓子キミドリ。
「ここ、噂は聞いてたけど、来たことないだろ」
少しだけ、胸を張る。 こんな店も知っている、ということを、なぜか彼女に伝えたかった。
店の扉をノックして入ると、焼き菓子の匂いがふわりと広がった。 ショーケースの中には、タルトやマフィン、スコーン。 どれも主張しすぎず、だが確かに、ここでしか出会えない顔をしている。
店主は、噂に違わぬ人だった。 髪をきれいにまとめ、清潔感と柔らかさを同時に纏っている。 姪が一瞬、目を奪われたのを、私は見逃さなかった。
「何にする?」
そう聞くと、姪は少し迷ってから言った。
「……ラムレーズンのタルト」
結局、ラムチョコボールとバナナケーキも加えた。 袋を受け取り、店を出る。
家に戻り、テーブルに並べる。 ラムチョコボールは、干し葡萄と洋酒の香りがしっかりしていて、甘さは控えめ。 かぼちゃのタルトは自然な甘みと、土台のザクザクした食感が面白い。 バナナケーキは、バター不使用とは思えないほど、どっしりしている。
姪は黙って食べていた。 だが、ラムレーズンタルトを一口食べたとき、ほんの一瞬、表情が緩んだ。
「……おいしい」
それだけだった。 けれど、その一言で十分だった。
私はコーヒーを淹れながら思う。 近くに、こんな店があること。 それを知っていて、連れて行けたこと。
親代わりとしては頼りないかもしれない。 だが、こういう形でなら、何かを渡せる気がした。
姪は最後に言った。
「また来たら、ここ寄ってもいい?」
「ああ。歩いて三分だからな」
それは、約束というほど大げさなものではない。 けれど、今の彼女と私には、ちょうどいい距離だった。
皿の上には、まだ少しだけ、焼き菓子が残っている。
