年が明けて三日目。 川崎からこの街に引っ越してきて、もう数年になる。 正月らしい正月を過ごした記憶は薄く、気づけば今日も、夫婦二人で並んで歩いていた。
このあと寒川神社に行く予定だ。 初詣としては少し遅いけれど、混雑を避けたかったというのが本音で、どちらが言い出したわけでもない。 会話は特にない。 長年一緒にいると、言葉は減り、沈黙は重たくも軽くもなく、ただそこにある空気のようになる。
神社へ向かう途中、見慣れない小さな店が目に入った。 スリランカカレー。 前に雑誌で見た気もするけれど、ちゃんと来たのは初めてだ。
「ここ、入ってみる?」 珍しく、妻が先に口を開いた。 私はうなずくだけで、暖簾をくぐった。
店内はこぢんまりとしていて、スパイスの香りがやわらかく鼻をくすぐる。 店主は気さくで、料理の説明を丁寧にしてくれた。 最初に出てきた、ほんのりピンク色の水。 健康にいいらしい、と聞いて、二人で同時にグラスを口に運ぶ。
ワンプレートに盛られたカレーは、色とりどりだった。 チキンとポーク、豆や野菜、酸味のある副菜、パリッとしたパパダム。 私はスパイス多めのチキンを選び、妻は違うライスを選んだ。 自然と、互いの皿を見比べる。
「少し交換する?」 そんな一言で、スプーンが交差する。
辛くないのに、じんわり汗が出る。 重くない。 胃に負担がかからず、体の奥から温まる感じがした。 それぞれを少しずつ味見したあと、店主に勧められるまま、すべてを混ぜる。
混ぜるほどに、味がひとつになっていく。 どれが主役かわからなくなるのに、不思議とまとまっている。
「不思議だね」 妻がぽつりと言った。
私はその横顔を見て、ふと思った。 こうして一緒に混ざり合ってきたのが、私たちなのかもしれない。 個々の主張は薄れて、境目も曖昧で、でも確かに一皿として成立している。
最後にホッダを少しかけると、味がまた変わった。 さっきまで気づかなかった酸味や優しさが、ふわりと前に出てくる。
食べ終わる頃、体も心も軽くなっていた。 店を出ると、冬の空気は冷たいが、どこか澄んでいる。
「寒川神社、ちゃんと手を合わせようか」 私が言うと、妻は少しだけ笑った。
歩き出す。 肩が触れそうで触れない距離。 それでも、さっきより近い。
空気みたいだと思っていた存在が、 実は、ずっと温度を持ってそばにいたことに、 スパイスの余韻と一緒に、ようやく気づいた。
飲食店短編小説
