朝の時間は、いつもここから始まっていた。
築地駅を出て、聖路加通りを少し歩き、 ガラス張りのドトールコーヒーショップ 築地聖路加通り店へ入る。 それはもう、考えなくても体が動くくらい、当たり前の動線だった。
ミラノサンドとアイスコーヒー。 味は知り尽くしている。 驚きも、感動も、たぶんない。 でも、その「変わらなさ」に、どれほど救われてきたのだろう。
朝七時台。 テイクアウトを待つ数人の背中。 新聞を広げる人、スマホを眺める人。 男女別のトイレがある安心感。 広い店内と、だいたい空いている席。
いつもの風景だった。
けれど今日、その風景を見ながら、 ふと、胸の奥がざわついた。
転職することになったのだ。
この道を通らなくなる。 この店に、理由もなく立ち寄る朝はなくなる。 ミラノサンドを包む紙の音も、 カウンター越しの「ありがとうございました」も、 日常から静かに消えていく。
大したことじゃない。 そう思おうとした。
でも、 「いつもあるもの」がなくなると気づいた瞬間、 人は初めて、それを“大事にしていた”と知る。
寂しい、というほど大げさではない。 ただ、少しだけ、名残惜しい。
アイスコーヒーの氷が溶ける音を聞きながら、 私はいつもよりゆっくり、バゲットをかじった。
この風景は、 私の人生の中では、もう「思い出」になる。
それでもきっと、 別の誰かの「いつもの朝」は、 明日もここで、何事もなかったように続いていく。
それでいい。 そういう場所があること自体が、 この街の、やさしさなのだから。
