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チャップマン・タコス
横浜 黄金町タコス

チャップマン・タコスにて

by 匿名2025年12月21日

京浜急行の赤い電車が高架を抜けていく音を背に、私は息子と並んで歩いていた。  黄金町と阪東橋のちょうど中ほど。伊勢佐木町商店街からそのまま伸びてきた商店街の一角である。  このあたりは、昼であってもどこか夜の名残を引きずったような路地が多く、通りを行き交う人々の足取りも、少しだけ気まぐれだ。

 数年ぶりに会う息子は、小学生になっていた。  背は伸びたが、歩き方にはまだ幼さが残っている。  私は父であるはずなのに、どう声をかけてよいか分からず、ただ黙って隣を歩いていた。

「……タコス、好きなんだろ」

 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどぎこちなかった。

「うん。ママのとこで、たまに食べる」

 短い返事。  だがそれだけで、少し胸の奥が緩んだ。

 商店街の喧騒がふっと途切れ、路地を一本折れたところで、小さな看板が目に入った。  Chapman tacos。  私はその文字を見て、半ば逃げるように言った。

「……ここ、入ってみるか」

 息子は一瞬こちらを見てから、小さく頷いた。

 日曜の正午。  口開けの店内はまだ静かで、コンクリート打ち放しの壁に、焼けたトルティーヤの香りが柔らかく満ちていた。  店は縦に細長く、白いテーブルが二列に並び、奥にはキッチンカウンターが見える。  外国人の客がぽつりぽつりと腰掛け、どこか異国の昼下がりのような空気が漂っていた。

 カウンター席もあったが、店の人は何も言わず、私たちをテーブル席へ案内してくれた。

「先ずは……」

 私は黄金色の瓶を手に取った。  休日の正午に飲むビールほど、人を正直にするものはない。

 ライムを瓶に押し込み、喉へ流し込む。  苦味と酸味が混じり合い、思わず息が漏れた。

「……おいしい?」

 息子が、少しだけ興味深そうに聞いた。

「ああ。生き返る」

 その言葉に、息子がくすっと笑った。  その笑いを、私は見逃さなかった。

 やがて、タコスが運ばれてくる。  三つ並んだそれぞれが、まるで性格の違う兄弟のように見えた。

 牛ステーキ。  白身魚のソテー。  そして、豚のオレンジ煮込み。

 特に目を引いたのは、コーン100%のトルティーヤである。  焼き立てなのか、香ばしい匂いが静かに立ち上り、指先に触れるとまだ温かい。

「好きなの、どれ?」

「……これ」

 息子は、豚のタコスを指さした。

 パクチー、玉葱、サルサ。  ハラペーニョとピコ・デ・ガヨを、二人で少しずつ足していく。

「辛いの、大丈夫か」

「ちょっとなら」

 そんなやり取りが、思いのほか自然に続いた。

 一口かじると、豚の甘みと柑橘の香りが広がる。  息子は目を丸くし、もう一口、今度は大きく噛んだ。

「……これ、すごい」

 その一言が、妙に胸に響いた。  私は、息子の「すごい」を、何年も聞いていなかった。

 追加で頼んだセビーチェは、皿の上に海が広がったようだった。  エビ、イカ、ホタテ、ムール貝。  にんにくが程よく効き、私のビールは自然と減っていく。

「パパ、これも食べる?」

 皿を差し出され、私は少し驚いた。  いつの間にか、「お父さん」ではなく「パパ」になっている。

「ああ、もらおう」

 それだけで、十分だった。

 店を出る頃、息子は言った。

「また、ここ来たいな」

 私は頷いた。

「ああ。次は……焼きそばみたいなのもあるらしい」

「え、タコス屋で?」

「そういうのも、悪くない」

 商店街に戻ると、午後の光が少しだけ柔らいでいた。  黄金町と阪東橋のあいだ。  その曖昧な場所で、私たちの距離もまた、少しだけ曖昧さを取り戻していた。

 別れたものは戻らない。  だが、同じ卓につき、同じタコスを頬張ることで、  人はもう一度、言葉を探し始めることができるらしい。

 私はそう思いながら、息子の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いた。

この物語に

チャップマン・タコス

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