築地場外の通りを挟んだ向かいに、KOKOホテル築地 銀座は佇んでいる。 市場の喧騒がまだ完全には目覚めきらない時間、ホテルの裏口には、仕事を始める者たちの静かな気配が集まる。
朝食バイキングは、宿泊者専用だ。 一階と二階にレストランスペースがあり、二階は修学旅行などの団体客を受け入れるために使われる。 普段は外国人の宿泊者が多く、朝のレストランには、英語や聞き慣れない言葉が自然に混じる。
私が最初に任された仕事は、食器の洗浄だった。 お客様が席を立ったあと、皿やグラスを下げ、黙々と流しへ運ぶ。 単調ではあるが、朝のリズムを覚えるには十分だった。
店長は年配の男性で、口数は少ない。 だが、怒鳴ることはほとんどなく、必要なことだけを低い声で伝える。 その背中が、厨房の空気を落ち着かせていた。
スタッフにはミャンマー人が数人いる。 ほかは近隣に住む年配の人たちで、皆どこか肩の力が抜けている。 冗談も言うし、初めての私にも気さくに声をかけてくれた。
仕事に慣れてくると、バイキング料理の差し替えを任されるようになった。 空になりかけた皿を下げ、新しい料理を並べる。 料理が整うだけで、カウンターの景色が一変するのが不思議だった。
さらに慣れると、盛り付けも任せてもらえるようになった。 これが、思いのほか楽しい。 少し角度を変えるだけで、料理は生き生きと見える。
外国人のお客に話しかけられることもあった。 最初は戸惑い、言葉に詰まった。 だが、仕事を終えた帰り道、 「明日はこんな言い方をしてみようか」 そんなことを考える自分に気づいた。
仕事終わりには、賄いとしてバイキングを食べることができる日もある。 さっきまで並べていた料理を、今度は客ではなく、働く側として口にする。
その味は、少しだけ違って感じられた。
築地の朝は早い。 だが、このホテルの朝は、ただ忙しいだけではない。 少しずつ任されることが増え、少しずつ声を出せるようになり、 自分がこの場所の一部になっていく。
場外市場の通りが賑わい始めるころ、 私はエプロンを外し、裏口から外へ出る。
朝は、まだ続いている。
