池尻大橋駅の改札を出て、商店街を抜ける。
田中の足取りは重かった。
大手航空測量会社のプロジェクトリーダーとして、今週は現場の測量データと格闘する日々が続いていた。ドローンで撮影した数千枚の画像を統合し、3Dモデルを生成する。一つのミスが全体の精度を狂わせる。責任は重い。五十二歳の背中には、それが沁みていた。
「腹、減ったな」
ふと、赤い看板が目に入った。
ステーキハウス鉄板焼 不二
以前、部下に教えてもらった店だ。創業四十年以上の老舗。各テーブルに鉄板があって、目の前で焼いてくれる。
暖簾をくぐると、昭和の匂いがした。
壁には短冊風のメニューがずらりと並ぶ。ハンバーグ、ステーキ、焼きそば。店内はテーブル席が六つほど。どこか懐かしい空間。
「いらっしゃい」
女将さんの声に、田中は小さく会釈した。
「ハンバーグ定食、お願いします」
「はいよ」
注文を聞くと、女将さんが鉄板に油を引く。ジュワッという音。肉の塊が鉄板の上で踊り始める。
田中はそれを眺めながら、深呼吸をした。
オフィスの冷たい空気と違う。ここには熱がある。音がある。匂いがある。
鉄板の上で、ハンバーグがいい焼き色になっていく。タマネギも、コンニャクも、順番に焼かれていく。
「お待ちどうさま」
目の前に置かれた鉄板は、まだジュージューと音を立てていた。
熱い。
田中は割り箸を手に取り、ハンバーグを一口。
「……うまい」
肉汁が口いっぱいに広がる。
田中は黙々と食べた。
箸を動かすたびに、朝から背負っていたものが少しずつ軽くなっていく気がした。
デスクで見つめ続けたモニターの向こうの世界——上空から見下ろす都市や山脈のデータ。精密で正確だが、どこか作り物めいた景色。
でも、これだ。
この熱。この音。この味。
五感で感じる「リアル」が、ここにある。
半分ほど食べたところで、田中はふと思った。
(測量って、結局はこういうことなんだろうな)
地面を歩く人々の暮らし。その営みを支えるための仕事。
空からの視点だけじゃ見えないものがある。
鉄板の上で焼ける一食の昼飯に、誰かの温かさがある。
「ごちそうさまでした」
田中は手を合わせた。
「ありがとうございました」
店を出ると、陽が差していた。
歩く足取りは、入った時よりも確かに軽い。
さあ、午後もやるか。
