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カフェ 喫茶エレーナ
横浜 元町喫茶店

坂の途中のプリン

by 匿名2026年2月20日

石川町駅の改札を出た瞬間、空気の匂いが違うと彼女は思った。

長くいた海外の乾いた風とも、都心の排気ガスとも違う。 どこか柔らかくて、少しだけ甘い。

「……帰ってきたんだな」

誰に聞かせるでもなく呟いてから、彼女は坂道へ向かった。

 

フェリス女学院に通っていた頃、毎日のように歩いた坂。 当時は友人と笑いながら登っていたはずなのに、三十代になった今は妙に長く感じる。

体感二十分。

学生時代なら、きっと五分だった。

「こんなに急だったっけ……」

軽く息を切らしながら顔を上げると、見慣れた赤い屋根が見えた。

 

喫茶エレーナ。

 

白い壁。少しノスタルジックな佇まい。 時間から切り離されたみたいな、あの店。

 

ドアを押すと、鈴の音が静かに鳴った。

 

「いらっしゃいませ」

 

低く穏やかな声。

流れているのは、主張しすぎないゆったりとしたBGM。 窓から差し込む光が、木のテーブルを淡く照らしている。

 

昼前、混雑率は五割ほど。

2名用テーブルがいくつかと、4名用テーブル。 昔と何も変わっていない気がした。

 

彼女は自然と窓際へ足を運んだ。

 

視線の先に、ランドマークタワー。

 

この景色も、学生時代と同じ。

なのに、不思議と違って見える。

 

制服姿で座っていたあの頃の自分。 将来なんて、ぼんやりとしか考えていなかった頃。

 

「ご注文お決まりですか?」

 

顔を上げると、柔らかな笑顔の女性スタッフ。

 

「……パンプキンプリンと、アイスティー。ストレートで」

 

口に出した瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなる。

 

あの頃、よく頼んだ組み合わせ。

 

「セットで百円引きになります」

 

その言葉すら、懐かしい。

 

 

提供は三分。

驚くほど早い。

 

小ぶりで、しっかり固めのプリン。

上には上品な甘さのホイップクリーム。 ゆっくり流れるビターなカラメルソース。

 

スプーンを入れると、きちんとした抵抗。

 

一口。

 

「……あ……」

 

思わず小さく声が漏れた。

 

カボチャ感は控えめ。

でも、ゆっくり味わうと確かに存在を主張してくる。 派手ではないのに、忘れられない味。

 

海外で食べたどんなデザートよりも、妙に心に沁みた。

 

アイスティーを一口。

静かな店内。

落ち着いた客層。

会話しやすい騒音レベル。

 

すべてが、ちょうどいい。

 

 

学生時代、彼女はよくここで時間を潰していた。

試験前。 恋の悩み。 将来への不安。

 

あの頃は、悩みでいっぱいだったはずなのに。

 

今思い出すのは、笑い声ばかり。

 

 

「人って勝手だな……」

 

少し笑って、窓の外を見る。

 

ランドマークタワーは、相変わらず堂々としている。

 

自分だけが変わってしまったみたいな感覚。

 

でも。

 

プリンは、あの頃のままだった。

 

 

「これ……美味しいなぁ……」

 

今さらみたいに呟く。

 

昔も同じ感想を抱いていたはずなのに、 その重みがまるで違う。

 

 

帰国したばかりの不安。

これからの生活。

仕事。

人間関係。

 

色々なものが頭の中を巡っていたはずなのに。

 

カラメルの苦味と、プリンの優しい甘さが、 それらを静かに溶かしていく。

 

 

この店は変わらない。

 

坂は相変わらずきついし、 支払いは現金のみだし、 時間の流れ方も独特だ。

 

でも。

 

だからいいのだと彼女は思った。

 

 

外の世界でどれだけ時間が進んでも。

 

ここには、昔の自分がちゃんと残っている。

 

 

最後の一口をすくい上げながら、彼女は思う。

 

また来よう。

 

特別な日じゃなくていい。

理由もいらない。

 

ただ、坂を登って。

プリンを食べに。

 

 

店を出ると、冬の光。

 

帰りの下り坂は体感三分。

 

「……やっぱり下りは早いんだ」

 

小さく笑って、彼女は歩き出した。

 

少しだけ軽くなった足取りで。

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