真冬の臨港パークは、海からの風が容赦なく頬を刺してくる。白い息が二人分、ゆっくり重なって、またほどけた。
「思ったより並んでるね」 彼女が肩をすくめる。手袋越しに、僕は彼女の指を探してつかんだ。列の先には、ガラス張りの向こうで灯りが揺れている。目的地は、I’m donut? 横浜臨港パーク。ドーナツ一個のために、冬の海沿いで列に立つなんて、少し可笑しい。
「でも、前より早いって口コミにあった」 「口コミ、信じすぎ」 「信じたいんだよ。今日は」
二人の足元で、舗道に落ちた枯葉が風に転がる。前のカップルが笑って振り返り、警備の人が穏やかに声をかける。列はゆっくり、確かに進んでいる。
「中目黒のとき、ピスタチオ食べた?」 「うん。甘すぎなくて、軽かった」 「生ハムのやつもいいよね」 「それ、ドーナツの話?」 「ドーナツの話」
そんなふうに、取り留めもなく話す。午後から出るティラミスのこと、QRコードが調子悪かった日のこと、最近の仕事、来年の予定。言葉は風に冷やされても、間に流れる時間は不思議と温かい。
「もし売り切れてたらどうする?」 「そのときは、次の平日に来る」 「また並ぶ?」 「並ぶ。今日の続きを話すために」
彼女が笑う。その瞬間、列がぐっと前に詰まり、入口が近づいた。揚げ油と甘い香りが、ガラス越しに漏れてくる。胸の奥が、少しだけ高鳴る。
「次です」 スタッフの声が、静かに届いた。
僕は彼女の手を離し、トングの位置を確かめる。選ぶ前の、この一歩手前が、いちばん好きだ。まだ何も決まっていなくて、これから始まる感じがするから。
順番が来た。冬の列は、ここで終わる。
飲食店短編小説
