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キッチン 裕(閉店)
横浜 蒔田町洋食屋

臙脂色のドアの向こう

by 匿名2026年5月5日14

梅雨の走りだろうか、朝から降り続く雨が、鎌倉街道を灰色に煙らせていた。

 村瀬孝之は、傘を差し、自宅マンションから、いつものとおり、しばらく歩いて、鎌倉街道に出た。通町一丁目のバス停を過ぎ、あの白い建物の前に立つ。  臙脂色のドアだけが、まだそこにあった。  だが、それ以外はすべて変わっていた。「キッチン 裕」と白い文字で記された茶色の看板は外されている。脇に置かれていた黒板——日替わりメニューがチョークの丸い字で書かれていた、あの黒板も。入口の横で小さく茂っていた観葉植物の鉢だけが、なぜか残されていた。誰も水をやっていないのだろう、葉先が茶色く枯れかけている。ガラスには不動産会社の「テナント募集」の紙が貼られ、中は空っぽだった。あの臙脂色のドアだけが、何も変わらない顔で、白い壁の中に収まっている。

 キッチン 裕。  二〇二〇年の三月に開いて、ちょうど六年で幕を閉じた。今年、二〇二六年の三月のことだ。まだ三ヶ月しか経っていない。コロナの真っ只中に船出し、あの苦しい時代をなんとか漕ぎ続け、世の中が日常を取り戻した頃に、静かに店を畳んだ。世間ではそれだけのことだ。横浜市南区の、どこにでもあるような街の、どこにでもあるような飲食店の閉店。食べログに三十余件の口コミと、八百を超える保存数を残して。  だが、村瀬にとっては違った。

 最初にこの店を知ったのは、三年ほど前のことだ。偶然だった。

 桜木町の取引先を訪ねた帰り、蒔田駅を降りて自宅へ戻ろうと鎌倉街道を歩いていると、白い壁の建物の一階に、目を引く色があった。臙脂色だ。入口のドアが、一面の臙脂色に塗られている。周囲の白い壁の中で、その一枚のドアだけが鮮やかに浮いていた。派手というのとは違う。落ち着いているが、芯の強い色だ。ドアの上には控えめな看板。「キッチン 裕」。脇には小さな黒板が立てかけられ、チョークで本日のメニューが書かれていた。

 喫茶店のようでもあり、洋食屋のようでもある。入口の足元には観葉植物の鉢が幾つか並び、その緑が臙脂色のドアと妙に似合っていた。派手な電飾も、呼び込みの声もない。ただ、あの臙脂色だけが、通りを歩く者の目を静かに捉える。   村瀬は、ちょうど昼飯をたべそこねたこともあり、足を止めた。

 重みのあるドアを引くと、足元から木の温もりが伝わってきた。使い込まれたダークブラウンのフローリングが、店の奥まで続いている。四人掛けのテーブルが五つ、それぞれにクロスが掛けられ、どこかの家のダイニングに招かれたような気安さがあった。壁はくすんだベージュで、そこかしこに額縁に入った絵や写真が飾られている。風景画、古い映画のポスター、どこかの港町のモノクロ写真。統一感はないが、不思議と調和していた。まるで店主の頭の中を覗いているようだった。  天井からは裸電球を模したペンダントライトが幾つも下がり、柔らかな橙色の光を落としている。蛍光灯のぎらつきではない。夕暮れどきの台所のような、穏やかな明るさだった。奥のカウンターの上には小さなテレビが据えられ、音を絞ったワイドショーが映っていた。  平日の午後二時。客は村瀬だけだった。

「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」

 カウンターの向こうから、穏やかな声がした。入口近くのテーブル席を選んだ。窓から鎌倉街道が見える席だ。テーブルの上にはラミネートされたメニューが置かれ、角がわずかに剥がれかけている。ビーフシチュー、カニクリームコロッケ、ポークソテー、チキン南蛮。どれも千円台。そして目が止まったのが、「チキンソテー(オリジナルオリーブ)」だった。

「これ、お願いします」

「サラダとスープとドリンクがつきますが、よろしいですか」

「ええ」

 待つ間に出されたコンソメスープを一口すする。澄んだ琥珀色のスープに、細かく刻まれた野菜が沈んでいた。丁寧に灰汁を引いた、まっとうな味がした。ホテルの宴会料理でもなく、チェーン店の工場製でもない。誰かがこの厨房で、今日、この鍋の前に立って作った味だ。  スープを飲みながら店内を見回した。椅子の座面には深い茶色の合皮が張られている。使い込まれているが、くたびれてはいない。壁際の棚には調味料の瓶が並び、その隣にさりげなく小さな花瓶が置かれていた。造花ではない。生の花だ。外の喧噪が嘘のように遠い。あの臙脂色の重いドアが、街と店との境界を引いているのだと思った。  それから十分ほどだったろうか。  運ばれてきた皿を見て、村瀬は思わず背筋を伸ばした。  大ぶりの白い皿の中央に、こんがりと焼き上げられた鶏もも肉が鎮座している。皮はぱりっと黄金色に焼き上がり、その上からたっぷりとかけられたソースが、深い茶色の照りを湛えていた。付け合わせのポテトサラダと彩り野菜が端正に添えられ、その脇には炊きたてのご飯。ペンダントライトの橙色の光が、ソースの艶をいっそう深く見せた。  ナイフを入れると、皮がかりっと音を立て、中から肉汁が溢れた。口に運ぶ。

 村瀬は目を見開いた。  ソースだ。このソースが、尋常ではなかった。甘すぎず、辛すぎず、酸味がかすかに効いている。デミグラスとも、和風だれとも違う。玉ねぎの甘みをベースにしているのだろうか。にんにくの香りがほのかに立ち、醤油のような深みもある。だが、どれかひとつの味が突出するのではなく、すべてが渾然と溶け合って、ひとつの味になっている。鶏肉の皮の脂と混ざり合うと、そこにまた別の景色が生まれた。  村瀬は黙って食べた。ご飯にソースを少しかけた。それも旨かった。行儀は悪いが、皿に残ったソースをスプーンですくった。最後の一滴まで惜しかった。

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございます」

 店主は微笑んだだけだった。多くを語らない人だと思った。そして、多くを語る必要のない料理を作る人だと思った。  食後のアイスコーヒーをもらった。グラスの氷がからからと鳴る。テレビからは午後のニュースが低い音量で流れていた。窓の外を市営バスが通り過ぎる。この何でもない午後の時間が、妙に居心地よかった。  勘定を済ませ、あの臙脂色のドアを押して外に出ると、午後の日差しが眩しかった。振り返ると、白い壁の中にあの色が静かに収まっている。その色だけを目に焼きつけて、村瀬は自宅へ歩き出した。

 それからは月に一度、時には二度、この店に通った。ビーフシチューも食べた。カキフライも食べた。三元豚のポークソテーも食べた。どれも確かに旨かった。だが、いつも最後にはチキンソテーに戻った。  通ううちに、店の細部が目に馴染んでいった。入口横の黒板は、日替わりメニューによって書き換えられる。壁の額縁は、訪れるたびに少しずつ増えたり位置が変わったりしていた。トイレの前の廊下には、子どもの絵が一枚貼られていた。店主の子どもだろうか。鎌倉街道の雑踏の中からあの臙脂色のドアを見つけ、重い取手を引き、フローリングの上に足を踏み入れるたびに、外の世界と切り離されて、この小さな空間だけの時間が始まる。その感覚が好きだった。

 ある秋の夕方、珍しく夜の営業時間に訪れたことがある。十九時のラストオーダーぎりぎりだった。外から見ると、暮れかけた通りの中で、あの臙脂色のドアの縁からペンダントライトの灯りが漏れて、足元の観葉植物の葉を淡く照らしていた。あの色と、あの灯り。その取り合わせが、なぜか胸に迫った。  カウンターに座った。テレビでは野球中継が流れていて、ベイスターズが三点差で勝っていた。ビールを一杯もらい、それからチキンソテーを頼んだ。 「いつもありがとうございます」と店主が言った。

「ここのチキンソテーを食べると、なんだか安心するんですよ」

 なぜそんなことを口にしたのか、自分でもわからなかった。村瀬は無口なほうだ。だが、この狭いカウンター越しに立つ店主の背中を見ていると、不意に言葉が漏れた。フライパンの上で鶏肉が焼ける音。換気扇の低い唸り。テレビの実況。その音の層の中に、自分の声がすっと溶けていった。

 店主はフライパンの前で少しだけ振り返り、「嬉しいです」とだけ言った。

 あの日のビールは、妙に旨かった。

 妻を亡くして三年が経っていた。子どもたちはとうに独立している。横浜の古いマンションにひとりで暮らす日々は、寂しいというほどでもなく、充実しているというほどでもなく、ただ淡々と過ぎていった。スーパーの惣菜を温めて食べる夜が続く中で、月に一度の「キッチン 裕」は、村瀬にとって小さな祝祭だった。あの臙脂色のドアを引き、木のフローリングを踏み、ペンダントライトの灯りの下に座り、壁の額縁をぼんやり眺めながら、誰かが自分のために焼いてくれたチキンソテーを食べる。それだけのことが、どれほど人を生かすか。

 閉店を知ったのは、四月のことだった。つい二ヶ月前だ。  いつものようにマンションを出て、鎌倉街道を歩いた。白い建物が見えてきた。臙脂色のドアはいつもと同じだった。だが、近づくにつれて違和感が広がった。看板がない。黒板もない。ドアの横のガラスに張り紙がしてあった。短い文面だった。長年のご愛顧に感謝する、という、どこにでもある閉店の挨拶。臙脂色のドアだけが、何事もなかったように、そこにあった。

 六年。二〇二〇年三月から二〇二六年三月。ちょうど六年だった。コロナとともに始まり、コロナの記憶が薄れた頃に終わった。

 どこにでもある、のだ。飲食店は開いて、閉じる。それが世の習いだ。この鎌倉街道沿いにも、かつていくつもの店があり、いくつもの店が消えていった。人は店を覚えているが、店は人を覚えていない。いや、あの店主は覚えていてくれたのかもしれない。「いつもありがとうございます」というあの一言に、嘘はなかったと思う。

 それから二ヶ月。村瀬は今日、もう一度だけこの場所に来た。  あの日は気が動転していて、店の前をよく見なかった。だから改めて来たのだ。最後の確認のようなものだった。自分でもよくわからない。  傘を差したまま、しばらく立っていた。がらんどうの店内を覗くと、フローリングの色が少しだけ見えた。あの飴色の床だ。テーブルも椅子もないが、床だけは残っている。ペンダントライトが下がっていた天井には、配線の跡が丸い影になって残っていた。壁の額縁を掛けていた釘の穴も、たぶんまだあるのだろう。店は消えても、店の痕跡は、しばらくのあいだ建物の中に残る。やがてそれも、次のテナントの内装に塗り潰される。  入口の横を見ると、枯れかけた観葉植物の鉢だけが、まだそこにあった。二ヶ月のあいだ、誰にも引き取られず、誰にも捨てられず、ただ雨と陽に晒されていたのだろう。葉先は枯れていたが、根元のほうには、わずかに緑が残っていた。

 村瀬の舌の上には、まだあのソースの味があった。ぱりっと焼けた鶏皮の食感。肉汁と混ざり合うソースの、複雑で、それでいてどこか懐かしい味わい。ペンダントライトの橙色に照らされた白い皿の上の、あの茶色い照り。店主の静かな背中。カウンター越しのテレビの野球中継。壁の額縁。木の床を踏む自分の靴音。そして、あの臙脂色のドアの、重い取手の感触。  それは舌の記憶ではなく、もはや身体の記憶だった。  寂しいのではない。ただ、もう食べられないという事実が、胸の奥の、妻を亡くしたときに空いた穴の隣あたりに、小さな窪みをひとつ作った。それだけのことだ。  村瀬は傘を閉じた。雨が小降りになっていた。

「さて」

 と、声に出して言った。誰に言うでもない。ただ、次の一歩を踏み出すための、自分への合図だった。  歩き出しながら、村瀬は思った。帰ったら、鶏もも肉を買おう。スーパーの安い肉でいい。フライパンで皮をぱりっと焼いて、何かソースを作ってみよう。玉ねぎを炒めて、にんにくを入れて、醤油を少し。あの味には絶対にならないだろう。だが、それでいい。  あの味は、あの場所にしかなかったのだ。あの白い壁と臙脂色のドアと、ダークブラウンのフローリングと、ペンダントライトと、壁の額縁と、足元の観葉植物と、あの寡黙な店主の、あの二十二席の小さな店にしかなかったのだ。  ポケットの中のスマートフォンを取り出した。食べログのブックマークに、まだ「キッチン 裕」が残っていた。保存数、八百三十。こんなにも多くの人が、この小さな店を記憶に留めようとしていた。  削除はしなかった。

 あのチキンソテーの味を、自分はいつまで覚えていられるだろうか。五年後か、十年後か。舌の細胞は日々入れ替わり、味覚は加齢とともに衰えていく。いつか、あの味の輪郭は曖昧になり、ただ「旨かった」という感覚だけが、薄い靄のように残るのだろう。  だが、それでいいのだと思った。  人の記憶とは、そういうものだ。正確に覚えていることに意味があるのではない。あの場所で、あの時間に、確かに旨いものを食べた。その事実が自分の中に静かに沈んでいく。それは栄養のようなものだ。身体を作り、日々を支え、やがて血や肉になって、知らぬ間に自分の一部になる。  キッチン 裕のチキンソテーは、もうどこにもない。  だが、あの味を知っている人間が、この横浜の街のどこかに、まだ何百人かはいるのだ。  今日の夕飯は、自分で作ろう。旨くはならないだろう。だが、それでいい。  雨は上がっていた。

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コメント (1件)

鎌倉街道の歩き人(2026/05/11)

閉店してしまった店の思い出を、これほど丁寧に描写できるなんて素晴らしいです。特にチキンソテーのソースの描写には、思わず喉が鳴りました。臙脂色のドア、観葉植物、ペンダントライトの灯り。そういう小さなものたちが、店の魂だったんでしょうね。村瀬さんが最後に「自分で作ってみよう」と思った気持ち、よくわかります。味は再現できなくても、あの場所の記憶は身体に残る。そんな物語をありがとうございます。

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