神楽坂の石畳を歩きながら、私は少しだけ浮かれていた。
今日の相手は、マッチングアプリで出会った彼。
大手企業勤務。 高身長。 爽やかなルックス。
友人たちに写真を見せると、
「すごいじゃん!」
と羨ましがられるような人だった。
実際に何度か会ってみても、会話はスマートで、仕事もできそうだった。
だから今日の神楽坂ランチも、少し期待していた。
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ランチで入った店は賑わっていた。
注文した料理が少し遅れていた。
彼は何度も腕時計を見て、明らかに苛立っている様子だった。
店員が
「申し訳ございません、もう少々お待ちください」
と頭を下げると、彼は無言のまま大きくため息をついた。
そして料理が運ばれてきても、
「遅いな」
と笑顔ひとつ見せなかった。
店員は再び謝罪し、その場を離れていった。
私は何も言わなかった。
ただ、そのやり取りを見ているうちに、少しずつ気持ちが沈んでいった。
彼の言葉自体は間違っていないのかもしれない。
けれど、忙しそうに働く人への態度が、どこか冷たく感じた。
さっきまで楽しみにしていたランチの時間が、急に色あせて見えた。
会話もぎこちなくなり、二人の間には重たい空気が流れていた。
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店を出たあと、ついに言い合いになった。
価値観の違いだったのかもしれない。
彼は時計を見ると、
「ごめん、この後予定あるから」
と言い残し、そのまま立ち去った。
私は神楽坂の街に一人取り残された。
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路地をあてもなく歩く。
古い家並み。
石畳。
静かな坂道。
せっかくの神楽坂なのに、気持ちは晴れない。
そんな時だった。
「あれ?」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、大学時代の友人・健太が立っていた。
卒業以来の再会だった。
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近況を話しているうちに、健太が言った。
「今、カフェをやりたくて勉強してるんだ」
「カフェ?」
「そう。休みの日はカフェ巡りばっかり」
昔から夢を語るのが好きな人だった。
その真っすぐな笑顔は、学生時代と変わっていなかった。
「ちょうど気になってる店があるんだけど、一緒に行かない?」
私は頷いた。
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向かったのは神楽坂の路地裏にある古民家カフェ、
AKHA AMA COFFEE KAGURAZAKA。
タイ・チェンマイ発のコーヒーブランドの店だった。
外には行列ができていたが、不思議と騒がしさはない。
木の温もりを感じる店内には、穏やかな空気が流れていた。
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注文を終えると、スタッフがコーヒーについて丁寧に説明してくれた。
「こちらはタイ北部チェンマイの山岳地帯で栽培された豆でして――」
健太は目を輝かせながら話を聞いている。
「へぇ、そうなんですね」
「このオレンジコーヒーってどういう味なんですか?」
次々と質問する健太。
スタッフも楽しそうに答える。
私はその様子を眺めながら、思わず笑みを浮かべた。
夢を持つ人は、こんな表情をするんだなと思った。
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私はフラットホワイトとキャロットケーキ。
健太はオレンジコーヒーを注文した。
一口飲む。
エスプレッソの香りとミルクの優しい甘みが広がる。
さっきまで張り詰めていた気持ちが、少しずつほどけていった。
キャロットケーキも、しっとりとしていて優しい味だった。
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窓際の席で、私たちはゆっくり話した。
仕事のこと。
将来のこと。
やりたいこと。
健太はいつか自分のカフェを開きたいと言った。
「大きな店じゃなくていいんだ」
彼はコーヒーカップを見つめながら言う。
「美味しいコーヒーと、少し居心地のいい空間があれば十分かな」
私は頷いた。
その言葉は、この店そのもののように聞こえた。
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その時、スマートフォンが鳴った。
ランチで別れた彼からだった。
しばらく画面を見つめる。
そして電話に出た。
「さっきは悪かった」
彼はそう言った。
でも、不思議と私の心は動かなかった。
今日一日で見えたものがあったからだ。
私は静かに言った。
「ありがとう。でも、私たちは合わないと思う」
短い沈黙の後、電話は切れた。
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店を出る頃には、神楽坂の空が夕暮れ色に染まっていた。
健太は次に行きたいカフェの話をしている。
私はそれを聞きながら、隣を歩いた。
友人として。
昔と変わらない距離感で。
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人生は不思議だ。
期待していた出会いが終わる日もある。
けれど、その日に別の縁がそっと支えてくれることもある。
あの日、神楽坂で飲んだ一杯のコーヒーは、恋を実らせたわけではなかった。
ただ、傷ついた心を少しだけ軽くしてくれた。
そして、人とのつながりの温かさを思い出させてくれた。
店を出るとき、ふと振り返る。
古民家の窓から漏れるやわらかな灯り。
コーヒーの香り。
楽しそうに豆の話をする人たち。
その光景が、なぜだかとても愛おしかった。
一杯のコーヒーには、人を幸せにする力がある。
そんなことを思いながら、私は神楽坂の坂をゆっくりと下っていった。
