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博多天ぷら たかお
横浜 ジョイナス横浜天ぷら屋

横浜の地下にて、博多を想う

by 匿名2025年12月21日

横浜駅の西口を出ると、人の流れというものは、まるで河川の如く、自然とジョイナスの地下へと吸い込まれてゆく。 私はかねてより、天ぷらという料理に対して、ある種の不思議な感慨を抱いてきた。周知のように、天ぷらの語源はポルトガル語の「テンポーラ」(四季の斎日)に由来するとされる。戦国の世、南蛮人たちが肉食を禁じられた斎日に魚や野菜を揚げて食したのが、この料理の淵源であるという。歴史というものは、かくも奇妙な回路を経て、われわれの食卓に至るのである。 さて、新相鉄ビルの地下二階に、「博多天ぷら たかお」という店がある。 博多、と聞いて、私は少し立ち止まらざるを得なかった。なぜ横浜の地下で、博多なのか。しかし考えてみれば、これこそが近代日本の面白さではあるまいか。鉄道と資本主義が、かつては何日もかけねば届かなかった土地の味覚を、駅前の地下街へと運んでくる。博多の職人の技が、相模の国の玄関口で花開く。これを奇縁と言わずして何と言おう。 博多天ぷらの特徴は、揚げたてを一品ずつ供するところにある。江戸前の天ぷらが、天つゆに潜らせて食すのを本義とするのに対し、博多では塩で食う。この差異は、単なる調味の問題ではない。おそらくは、博多商人の気質――せっかちで、合理的で、しかし美食を愛する――が生み出した様式なのであろう。 店は予約を受け付けない。並んだ順である。 この一事に、私は深く感じ入った。現代の飲食店の多くが予約システムを導入し、客を選別しようとする傾向にある中で、「並んだ順」という古典的な平等主義を貫いている。これは博多商人の、いや、かつての日本人が持っていた一種の矜持ではなかろうか。金持ちも貧乏人も、先に来た者が先に食う。それだけのことである。 夜の十一時まで営業しているという。横浜の夜を歩いた者が、ふと天ぷらを食いたくなった時、この店の暖簾をくぐることができる。そういう店が、町には必要なのである。 私はカウンターに座り、目の前で揚がる海老を眺めながら、ふと思った。この海老は、玄界灘で獲れたものか、それとも相模湾か。いずれにせよ、熱い油の中で、海老は一瞬にしてその生涯を閉じ、人間の糧となる。天ぷらを食うということは、そういう厳粛な営みなのである。 ――などと考えながら、私は塩を振った海老天を、ひと口で頬張った。 旨い、と思った。ただそれだけのことであるが、その「旨い」の中に、ポルトガル人も博多商人も横浜の勤め人も、すべてが溶け込んでいるような気がした。 歴史とは、つまるところ、そういうものなのかもしれない。

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博多天ぷら たかお

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