その日は朝から雨だった。傘を持たずに出かけた自分を呪いながら、軒先を探して走っていた。 古びた看板が目に入った。「喫茶 さくら」。重い木製のドアを押すと、カランとベルが鳴った。 「いらっしゃい。濡れたでしょう、タオル使って」 カウンターの奥から、白髪の女性店主が声をかけてくれた。その優しい声に、なぜか涙が出そうになった。 メニューを見ずに「おすすめは?」と聞くと、「うちはナポリタンよ」と返ってきた。 運ばれてきた赤いパスタ。一口食べた瞬間、時が止まった。 この味だ。小学生の頃、毎週日曜日に祖母が作ってくれた、あのナポリタンと同じ味。祖母が亡くなって15年、もう二度と食べられないと思っていた味が、今、目の前にある。 「お客さん、大丈夫?」 気づけば、涙が頬を伝っていた。 それから私は、毎週この店に通っている。祖母に会いに行くような気持ちで。