横須賀中央の通りを歩いていると、ふと鼻先をかすめる揚げ油の香りに足を止めた。 暖簾の奥にあるのは、気取らず、しかし確かな時間を重ねてきた天丼屋――岩松。
扉を開けると、外のざわめきは既に切り離されていた。 木のカウンター、静かな店内、そして厨房から聞こえる油の音。そのすべてが、「急がなくていい」と語りかけてくる。
迷うことなく天丼を頼む。 しばらくして、丼と一緒に置かれたのは、なめこの味噌汁と、控えめな存在感の漬物だった。主役を邪魔しない、けれど欠かせない脇役たち。
まずは天丼。 衣は軽く、タレは艶やかで、海老や野菜の輪郭をきちんと残している。一口ごとに、丁寧な仕事だけが静かに伝わってくる。
箸を止め、なめこの味噌汁に口をつける。 とろりとした舌触りと、素朴な味噌の香りが、揚げ物で熱を帯びた口の中をやさしく整えてくれる。思わず、深く息をついた。
漬物をひとかじり。 わずかな塩気と歯切れの良さが、再び天丼へと箸を誘う。この小さな循環が、食事を「一杯」から「一つの時間」へと変えていた。
店内には、必要以上の会話はない。 それぞれが、それぞれの静けさの中で、同じように丼と向き合っている。その光景が、この店の答えのように思えた。
食べ終える頃には、腹だけでなく、気持ちまで落ち着いていた。 岩松は、派手さはない。だが、天丼となめこの味噌汁、そして小さな漬物まで含めて、きちんと「整った食事」を出してくれる場所だ。
扉を開けると、横須賀中央の街は相変わらず忙しそうだった。 それでも胸の奥には、あの静かな味の余韻が、しばらく残り続けていた。
