京浜急行戸部の駅前を出て、夕暮れの気配が街路に滲《にじ》み始めた頃、 我々五十代の男三人は、夕餉《ゆうげ》前の一服を求めて、 樹根巣 珈琲専科の戸を押した。
中へ足を踏み入れた瞬間、焙煎《ばいせん》された豆の香りが、 外套《がいとう》の隙間に溜まっていた師走の冷気を、 無言のうちに追い払う。
苦味は控え、香りは深い。 この店の珈琲は、急ぐ人間を、意図的に足止めする。
カウンターの奥にいるのが、例のママである。 髪はきちんと染め上げられ、乱れはない。 大きめのサングラスを掛け、 まるでパリの裏通りからそのまま来たかのような、 洒落たマダム風の佇《たたず》まいだ。
しかし、その姿に反して、 声を発すると、距離は一気に縮まる。
我々は、いつもの腐れ縁のグルメ仲間である。 中華街の話になると、自然と饒舌《じょうぜつ》になる。
「最近は観光客向けが多くてね」 「いや、探せばまだある」 「結局、腕より雰囲気だろう」
そんな取り留めのない会話の隙を、 ママは見逃さぬ。
「それなら――」
サングラス越しに、こちらを一瞥《いちべつ》し、 あたかも昔から話題の中心に居たかのように、 すっと割り込んでくる。
「裏の路地。目立たないけど、 あそこは油が違うのよ」
そう言って、店の名を二つ三つ挙げる。 料理の話をしているようで、 実は人の話をしているのだ。
「火を怖がらない人がやってる店は、味が逃げない」
その言葉に、我々は誰一人として反論しない。 珈琲が運ばれてくる。
黒い液面に、店の灯りとママのサングラスが映る。 一口含むと、最初にほろ苦さが来て、 次いで、豆の甘みが静かに広がる。
会話もまた、同じ順序を踏んでいた。 最初は軽口、 そのうち、妙に本質めいた話になる。
クリスマスが近いというのに、 店内に浮かれた気配はない。 鈴の音も、飾りもない。
だが、だからこそ落ち着く。
珈琲を飲み干し、 「そろそろ行くか」と誰かが言う。
ママは軽く顎《あご》を上げ、 「行くなら、今度はあそこ」と短く言った。
サングラスの奥の目が、 確かに笑っていた。
外へ出ると、夜気が肌に刺さる。 しかし胸の奥には、 珈琲の温度と、 あのマダムの声が、しばらく残っていた。
――それで、十分なのである。
